No. 32
人は考える葦だとパスカルがいっています。頼りなく生えている1本の葦に等しい存在だけれど、考えることができる葦なのだという哲学的な言葉です。自然の中では弱者であっても、思考力を持つことで偉大な存在にもなりうるという意味を持っているそうです。
人の一生は学び続けるもの、魂も同じ
その言葉の通り、人は一生学び続けるべきだともいわれるようになり、今では「生涯学習」という言葉が定着しました。もちろん、「学び」は私たち自身とその生活、所属する社会をも向上させる大切な活動です。でも、世の中には学習して定義していくことのできないものもあるのではないでしょうか。
その一つとしてあげることのできるのがスピリチュアルな現象でしょう。霊という存在を例にすれば、それを完全に研究しつくすことも、学んで理解することも、科学的に証明することも難しいのがわかると思います。誰の目にもはっきりと見えるものではなく、触れることができない霊を型にはめることはできません。スピリチュアルvs科学という対立的立場に立ち、さまざまな発言をする人もいますが、土俵が異なる以上張り合ったところで平行線。結論が出る論議とは思えません。スピリチュアルにはスピリチュアルの、科学には科学の範疇というものがあると私は考えています。
非科学的だからこそ、霊能の世界を深く知るべき
霊視も占いも心霊怪奇現象も、その一部は科学的な根拠に迫るような研究が行われていますが、スピリチュアルな部分に関して科学的な完全証明は不可能です。私たちがスピリチュアルなものを受け取る時、そこに理屈は必要ありません。心を開き、素直に感じ取ることこそが、スピリチュアル体験を有意義にするもっとも大切な行動です。
人が古来、物事を研究したり学んだりして、型にはめることを好む傾向をもっていることは、パスカルの言葉からも伝わってきます。でも、スピリチュアルな分野に限っては、その現象に理由を探すのではなく、受け取ってどう生かすかに思考を用いましょう。頭ではなく、心と魂で受け取ることがあなたの心と魂を豊かにし、それをいかして活動することがよりよい結果へとつなげてくれるはずです。