りくじん-しんか【六壬神課】
六壬神課とは
六壬神課とは、約2,000年前の中国で生まれた占術のことで、時刻をもとに天文と干支術(かんしじゅつ)を組み合わせて占いを行います。中国や台湾では「大六壬」や「六壬」の名前で呼ばれることの方が多く、時には「玄女式」と称されることもあります。時刻から天文についての情報を取り出す時に、「式盤」と言われる簡易な器具を使うため、式占(しきせん)の一種だとされています。
六壬神課の伝承
中国では漢時代の初期には原型が完成し、三国時代に軍師諸葛孔明が使用していたとされる六壬神課ですが、日本では飛鳥時代、602年に百済の僧「観勒」を招いて習ったのが始まりだとされています。そしてその後、平安時代から鎌倉時代にかけて、陰陽道の中で脚光を浴びました。陰陽道を統括していた陰陽寮では「黄帝龍首経」等の六壬神課のテキストが使用され、平安時代の著作である「新猿楽記」では、登場人物である賀茂道世が六壬神課のテキストである「金匱経」等を読みこなしており、当時、陰陽師にとっては六壬神課が重要な占術であったと考えられています。また、陰陽師として有名な安倍晴明は「占事略決」という六壬神課の解説書を子孫のために残したとされており、鎌倉時代に作られた「金沢文庫」に伝わる「卜筮書」は、完本ではありませんが、六壬を解説した最古の写本であると言われています。
しかしながら、中国では時代を経て格式の異なる六壬が生み出されていった一方で、日本での六壬神課の伝承は、一旦江戸時代に途絶えてしまいます。その後昭和初期に阿部泰山が六壬の古典の一つである「六壬尋源」を「天文易学六壬神課」として翻訳、公開したことから、再び六壬神課が日本で使われるようになりました。
六壬神課の特徴
六壬神課は、自分と相手、自分と物といった、二者関係において、その関係の吉兆象意、起こるであろう事態の帰趨(きすう)を細かく占うことができます。とても原理原則がわかりやすい占いで、特に吉凶の断定がはっきりすると言われています。また、失物占いや射覆(せきふ)占いといった、物を探したり、見えないものを言い当てたりする占いに強く、失くしたものが出るか出ないか、盗られたのか置き忘れたのか、どこを探せばよいのか、どの方角にあるのかなどを的確に占うことができます。射覆占いに関しても、安倍晴明の子孫である安倍晴光が、後鳥羽上皇が主催した射覆大会において、六壬神課を使って見事、覆われた亀の形をした硯(すずり)を当てたという逸話が残っています。
使用する式盤
式占全般で使用する式盤は、天盤と呼ばれる円形の盤と、地盤と呼ばれる方形の盤を組み合わせたもので、円形の天盤が回転する仕組みになっています。式盤の材料は、天盤には楓(ふう)にできるコブのある楓人(ふうじん)を、地盤には雷に撃たれた棗(なつめ)を使うのが正式です。
六壬神課の式盤は、地盤に「十干」「十二支」「四隅の門」と、それに対応する「八卦」「二十八宿」が、天盤に西洋占星術の「横道十二宮」と、それに対応する「十二神」「十二天将」などが記載されたものになります。天盤十二神の中で、太陽が位置するサン・サインに対応する「月将の神」を、地盤の時刻である「十二支」に合わせることで六壬神課の天地盤が作られます。
占いの手順
占いには天地盤を使用し、四課三伝(しかさんでん)を作成して占います。一課は質問者、二課は一課の質問者に付属する事柄を、三課は質問の対象である人や物を、四課は三課の質問の対象に付属する事柄を表します。三伝は占う事柄の顛末を示し、一伝は事柄が発生した時のことを、二伝は現状を、三伝はその結末を表すとされています。 以下は、占いの簡単な手順です。
- 占おうとした時刻から、太陽の横道上での位置の指標である「月将」と、時刻の「十二支」から天地盤を作成する。
- 占おうとした時刻における、日の「干支」と天地盤から「四課」を出す。
- 「四課」と天地盤から「三伝」を出す。
- 天地盤の天盤「十二神」に「十二天将」を配布する。
- 空亡(そらなき)、徳神(とくじん)、禄神(ろくじん)といった吉神凶殺を天盤十二神に配布する。。
- 四課三伝、天地盤の特徴から、特殊な構成に当てはまるかどうかを判断する。
六壬神課は三伝を出す時に適用される手続きが何種類もある上に、手続きの適用規則も複雑で、日本でよく知られているような、巻末の暦を引けばそれで手続きが完了する占術と比べると、大変複雑な占術となっています。