せいよう-せんせいじゅつ【西洋占星術】

朝のニュース番組や雑誌の占いコーナーでよく目にする12星座占い。自分の星座の運勢が第何位かチェックしたり、悪い運勢を気にしたりする方も割と多く目にします。あの大元となっている占術が西洋占星術です。12星座占いは、西洋占星術における“太陽星座”を使った占いになります。

西洋占星術とは

太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星の10の星にそれぞれ12星座を当てはめるのが西洋占星術の基本となります。人の生年月日および出生時間のデータをもとに計算を行い、その結果や兼ね合いで運勢や性質を鑑定します。また「ホロスコープ」と言われる図を作成し、図上における各星の配置や角度を見ることで、人の持つ性質が実際におよぼす影響力やその方向性といった細かな部分も鑑定することもできます。12星座占いはこの太陽星座のみ単体で抽出した占いとなります。太陽星座はその人の基本的性格や外面を表わすものです。その他の星座を参照することで、深層意識、友人関係、恋の傾向、社会との向き合い方、待ち受ける試練など、さまざまな内容を鑑定することができます。また、幼少期から晩年期に至るまで、生涯のうち一定の区分の運勢をピンポイントで見ることも可能です。

西洋占星術の起源

西洋占星術の起源は紀元前のバビロニア王朝にまで遡り、そこからギリシャに浸透して発展を遂げたと言われます。占星術師はキリスト降誕のエピソードに登場することで有名です。新約聖書には、夜空の星を読み解いた占星術師が東方の地からキリスト降誕の地ベツレヘムに遥々やってきた、と記されています。このことから、占星術は1世紀の段階で中東周辺に広く普及していたと判断できます。

占星術はその後もローマ帝国全域に浸透しますが、やがてキリスト教の国教化により“異教の教え”と判断され、弾圧されることとなります。古代から中世に至るまでの間、星読みの技術は主に中東の地で語り継がれ、またそこからインド方面にも浸透したと言われています。そして中世に入り、西ヨーロッパ広域で「聖地エルサレムをイスラム教圏から奪還する」という気運が高まり、キリスト教徒による軍隊“十字軍”が結成されます。十字軍とイスラム諸国は“聖戦”の名のもとに激しい戦いを繰り広げました。この戦いが中東とヨーロッパの文化混交を招き、その影響によって占星術は再びヨーロッパの地で蘇ることとなりました。

西洋占星術が確立されるまで

現代の西洋占星術が完成したのは20世紀以降で、その過程には天文学の発展とオカルトブームが密接に関係しています。中世以前の占星術は天文学と同一のものでしたが、ルネッサンス、そしてニュートンの科学革命以降、天文学と占星術は明確に切り離され、占星術は非科学的な魔術のカテゴリに分け隔てられました。そして19世紀末、イギリスを中心とする大規模なオカルトブームの中で、占星術は再注目されることとなりました。また観測技術の発達による新惑星発見も、占星術に新たな概念を運ぶこととなりました。中世以前の占星術には、太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星の7天体しかありませんでしたが、18世紀の天王星発見、それに続く海王星、冥王星の発見により、占星術にもそれらの星星が取り入れられることとなり、いっそう神秘的な解釈が可能となりました。ですので、現代の西洋占星術が完成したのは、冥王星が発見された1930年以降のこととなります。なお、冥王星は2006年に惑星から外されましたが、西洋占星術の世界ではそれ以降も重要な星のひとつとして数えられています。