シンクロニシティ【synchronicity】
シンクロニシティとは
シンクロニシティとは、有名な心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱したもので、日本語では「共時性」と表記します。これは「何か意味のある、偶然の一致」と定義されます。一般的に不思議な超常現象のひとつとして捉えられることがあります。
あるとき、ユングがカウンセリングを行っている最中、対象の精神疾患の患者は、「黄金に輝くものが私のもとにやってこない限り、病気は治らない」という妄想的な発言をしていたといわれています。しかしこの後、シンクロニシティについてユングが研究するきっかけとなる大きな出来事が起きたのです。それは、窓の外に「こがねむし」がコツっと当たって落ちたという現象でした。つまり、黄金に輝くものが実際にやってきたのです。そして、その後、その患者の精神状態は回復の一途をたどったといわれています。その後、ユングは生涯に渡ってシンクロニシティ、つまり物事を好転させる偶然の出来事について研究し続けました。
シンクロニシティの色々な現象
シンクロニシティとは、具体的にはどのような現象なのでしょうか。実は、決して特別な現象ではなく、自分の身の周りで、頻繁に起きていることだといわれています。例えば、「最近、ふと思い出した旧友に、街で偶然ばったり出くわした」といったことや、「買おうと思っていたものを、人から偶然プレゼントされた」などの現象です。このようなシンクロニシティ現象は、いわゆる幸運、ラッキーと呼べることのほかにも、「自宅で祖母が大切にしていた花瓶が割れたとき、病院で祖母が死去した瞬間と同じタイミングだった」など、決してラッキーな偶然とは限定できない現象も含みます。
シンクロニシティの有名な現象
このシンクロニシティの現象のうち、とても有名なできごとがあります。それは、かつてのアメリカの大統領アブラハム・リンカーンと、ジョン・F・ケネディ大統領の二人の間で起きたものです。
最も大きな共通点は、在職中に暗殺されたことです。また、これも偶然の一致として神秘的に捉えられていますが、はじめて議会に選出された年も、リンカーンは、ケネディはと、同じ46年となります。そして、驚くべきことに、大統領に選出されたのは、リンカーンが、ケネディがでした。そして暗殺された場所は、リンカーンがフォード劇場、ケネディがフォード車の中でした。
シンクロニシティは、予期しないときに、花瓶が割れた例などのように、突然、一度切りのタイミングでくることのほかにも連続で起きたり、たくさんの出来事が同時に起きたりすることもあります。例えば、再婚相手の名前が、別れた妻と同じ名前で、さらに初恋の人とも同じだったというケースです。
シンクロニシティが頻繁に起きるという「双子」
人と人との関係や共通点などのシンクロニシティにおいて双子、つまり一卵性双生児は非常に起きやすいといわれています。離れて暮らしていても、同じ服を買ってしまう、片方が喋ろうとした瞬間、もう片方も同じことを喋ろうとしていたなど、日常的には頻繁に偶然の一致は起きているのです。そんな中、双子のシンクロニシティで非常に強いシンクロニシティが、アメリカのオハイオ州で1930年代に起きています。これは、生後まもなく、一卵性双生児がばらばらになり、まったく別の家に養子として引き取られたというところからはじまります。つまり、物心つく前から双子は互いに会話をすることも、お互いを認識し合うこともなかったのです。
このような中、まず一番目のシンクロニシティは、まったく交流のなかったはずの里親たちが、いずれもその子供に同じ名前の「ジェームズ」と名付けたことでした。そして、40年後に二人は偶然再会し、その驚くべきシンクロニシティを分かち合ったのです。
例えば、高血圧症からくる偏頭痛持ちであること、初婚の女性はリンダ、再婚相手はベティであること、初めての子にアランと名付けたこと、買っている犬の名前がトロイ、車やビール、タバコなどのブランド・銘柄がまったく一緒というものです。また、他の双子の姉妹の例でも、一方が交通事故で息を引き取った瞬間、何も知らずに平和にベッド上に寝ていた一方も突然胸の痛みに襲われ、息を引き取ったという事件も起きています。
シンクロニシティの解釈
このシンクロニシティがなぜ起きるのかということは、さまざまな研究と見解があります。そのような中、一般的なのは、ただの偶然であるという説や、無意識に人間は将来起きることを予知しているという説です。運命や宿命を見る占いや鑑定とも共通する部分があると言えましょう。
また、ユングは元々、すべての人間の意識はつながっており「集合的無意識」と呼ばれる存在があると述べています。その集合的無意識にアプローチすることにより、同じ場所から引き出された情報を各人が行動に移しただけという説もあります。つまり、人々はもともと交流しているというわけです。しかし、いまだにその確信的な根拠は得られていません。